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おばあちゃんのこと。

私にはとても大切な人がいます。

その人は、私に優しさや人の素晴らしさ、そして音楽を再開するきっかけや、

助け合うこと、人を大切にすること、許すこと、騒ぎ立てないこと、

笑顔、明るさ、

そして何より愛とは何かを教えてくれました。


過去を振り返ると必ずそこにはおばあちゃんが居て、

もう天国で暮らしているけど今でもパワーを与え続けてくれるとっても尊敬している大切な人です。


私のおばあちゃんは大腸ガン(直腸癌)になり6年間病気と向き合いました。

発見時はステージ3〜4でした。


話が少し飛びますが、

幼い時、私は自分が虐待にあっているんじゃないかって思ってた出来事なのですが、

狭い団地の四畳半の部屋で

家族に毎日”死ねコール”をされて笑われたり、

当たり前のように暴力もあり認めてもらうことがほとんどなくて、馬鹿にされたり圧力をかけられてばかりで

(自分が一番可愛い本人たちは私をとても可愛がったと思っているかもしれません)


自分の命の価値がわからなくなっていた時に、

私の命と生きる意味をくれたのは、


その時、部屋に流れていた


四畳半の密閉された空間の部屋に入って外の世界を歌詞で教えてくれた音楽でした。


そして、そんな私をさらに救ってくれたのは、

普通の生活、普通の会話、私や姉の事を考えてくれるお料理、、

おばあちゃんがくれる溢れんばかりの愛情でした。



世の中には私よりも辛い子や苦しんでいる人がいるかもしれない。

でもどうしていいのかわからなくて、虐待みたいなことをしてくる私の家族みたいな人や

困っていないかもしれないけど悲しいことをしている人、

私みたいに命の価値がわからなくなってしまった人の心や

人では入り込めない空間にも音楽は入れる。

だから、そんな活動をするために有名になってテレビやラジオやCDなどから太陽みたいにキラキラした気持ちをわけて、誰かを救える人になりたい!!



っていうのが私の夢でした。(長い。 笑)




さて、そんな私は事務所にも所属しメジャーのお話もあったりする若かりし日を過ごして

ロスに行ったりナンダカンダするわけですが、

結局、夢半ばで有名になることはほとんど諦めてしまいました。


有名になってお金持ちになって大人の人の言いなりになったり嘘をついたりすることがとても出来なかったのと、

(みんながみんなそうじゃないと思うけど私の場合はそういう環境がありました)

何よりプレッシャーを自分自身にかけすぎて、やりたいことが見えなくなってしまいました。


さて、ここで話を戻しますが、

そんなわたしに音楽を再開させるきっかけをくれたのがおばあちゃんでした。


おばあちゃんが癌になり、他に誰も頼れる人がいない中で、

おじいちゃんと私がおばあちゃんのお世話をさせてもらいました。


4ヶ月の次女を抱っこひもに、3歳の長女の手を握り、

足の痛いおじいちゃんと一緒におばあちゃんの病院に毎日通いました。


Xerox療法という抗がん剤が始まって、2〜3クール目だったかなぁ、、

おばあちゃんに言われたのです。


『あやちゃんの時間まで奪って好きなことさせてあげられなくてごめんね。』

って。


そこで私はおばあちゃんに好きなことしてるよって言うところを見せたくて、

音楽活動を再開しました。

誰しも命は限られていて私だって誰だって事故にあうかもしれないし何が起きるかもわからないからいつ天国に行くのかわからないのです。

私にとって命の恩人とも言えるおばあちゃんへの感謝の想いを現すことは、

おばあちゃんが生きている間に絶対したい、しなくちゃいけないことでした。


目標は、CDをプレゼントする事と、おばあちゃんにライブを聴いてもらうこと。





時間は作るもの。

毎日2時間の睡眠で癌について調べたり、新曲を作ったり。

(後にこの不規則な生活も原因の一つだと思われる病気になるのですが。苦笑)


自己評価の低すぎる私でも、自分ってこんなにできるんだって自分でもビックリするくらい動けた。


周りからは、おばあちゃんへ恩返しすることに対して、

親でもない年寄りのためにそこまでするなんておかしいとか、

子供たちを最優先しなさいとか、

おばあちゃんに依存しすぎているとか、

散々なことを言われていたし、他の家族は誰も手伝ってはくれなくて、

助けを求めても、

自分がしたいからおばあちゃんのお世話をしてるんでしょ?って冷たい反応ばかりでした。


でも、違う。


今、私が生きているのはおばあちゃんやご先祖様が命のバトンをくれたから。


生きる上でとても大切な”愛情”をくれた人に対して、

年寄りだからとか、自分は忙しいからとか、子供がいるからとか、

そんな理由で自分のことを優先するのは

都合の良いやらないための自分勝手な言い訳だと思ったし、



私は、ちゃんと筋の通ったおばあちゃんから教えてもらった愛情表現を

おばあちゃんにおさらい見たく”こうだよね”って伝えるチャンスをくれたんでしょ?

それには自信があった。


現実的に見ても、

足の悪い耳の悪いお医者さんの話を忘れてしまうおじいちゃん一人じゃ、おばあちゃんのサポートは不自由過ぎるのに、

やらない人はわからないのだろう。

自分の都合、自分の事ばかり考えて、

自分が幸せに思えれば大切に育ててくれた人が苦しんでいてもそれでいいんだよ、って姿を子供たちに見せるの?

どうしておばあちゃんのお世話をしていたら子供たちの事がちゃんとできないって決めつけるの?


私はもらったらもらったっきりではなくて

Give&Take、お互い様、

感謝の気持ち

それが人の素晴らしさで幸せの小さなだと信じている。


そんな姿を子供たちに見せるのが、大人ってものではないか。


私が幼い頃の理想であり

そういう大人でありたかったし、私なりの正しさを行動で示していく事で

幼い頃からのわだかまりも少しずつお掃除できていた。


誰かのためを思うって、とってもHAPPYな気持ちをもらえる。

お金に変えられない価値だ。


だから、おばあちゃん心配しないでね、私は何でもできるし、幸せだよ。っていうのを

口だけではなくて行動で現すためにまずはCDをプレゼント。


頑張っている人への応援歌、

私の代表曲にもなるのかなぁ?当時の想いや誓いを歌詞にした

”ALONE〜未来の方へ〜”という曲です。


私も仲間に入れていただいている音楽ボランティアの方にお願いして、

スタジオを借りて一発録音でレコーディングしました。

これにも私なりの考えがありますがそこまで話すと長くて、

せっかく読んでいただいてるあなたを退屈させてしまうかもしれないので今回ははしょります。笑


せっかくおばあちゃんにプレゼントできたのだけど、残念ながら聴く機械がないとの事で撃沈。笑


でも確か車で流して聞いてもらえたようなもらえてないような、、

(すみません、定かではなくて;;)


もう一つの目標のライブを聴いてもらえる事もなかなか出来なかった。

当時所属していたレーベルのライブで、

新宿MARZや六本木Edgeなどに出演させて頂いたりしましたが、

さすがにおばあちゃんは来れなかった。


そんなこんなで日々だけが数年過ぎて、

私も無理がたたり寝込んでしまったり、

スピリチュアルな体験をしたりしてたある日の事、


その時はおばあちゃんは6年間頑張った闘うという選択肢ではなくて、見つめる選択肢を選んで、すでに緩和ケア病棟にいた。


入院してしばらくしてお水も摂れなくなってた時に、

おばあちゃんからあやちゃんの歌が聞きたい。と、言ってもらえた。


ついにキターーー!!


無理にでも場所や時間を作ればおばあちゃんにライブを聴いてもらえる事はできたかもしれない。

でも、しなかった。


なぜなら、押し付けたくなかったから。


”音楽って素敵だよ?ね??私がおばあちゃんを想って一緒に闘病した時の事、かいたんだよ?どう??”ってなるのが嫌だった。


ありのままのおばあちゃんの、

気の向くまま、

それをサポートして行くのが私にできる最大の恩返しになるのではないか、

私が音楽をしているのは私が好きだからで、

おばあちゃんが好きだからではない。


と考えていたからです。


だから、夢が叶うんだって思った時に、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

音楽に救われ音楽が大好きな私としては待ちに待った瞬間でした。


でも、その時はまだ、本当の夢ってなんなのか私自身が理解していなかったように思う。


私はすぐにCDでもお世話になった音楽ボランティアの方に連絡した。

(今回は名前は伏せておきますがとっても尊敬している方です)

『すぐにでもやりましょう、仲間に声かけるよ!』って言ってすぐに連絡してくれた。


そして、大好きなメンバーさんも多忙の中すぐに都合をつけてくれて、

場所もおばあちゃんの病棟にはヒーリングルームという多目的スペースがあり、

そこを貸してくれる事になった。

この日を待っていたかのようにトントン拍子で決まった。


2013年8月17日。

私の理想のライブが本当におばあちゃんに届けられる時が来た。。


おばあちゃんが褒めてくれた洋服で、ありのままの姿でって事でお化粧もせず。


おばあちゃんは看護士さんがベッドごとヒーリングルームに移動させてくれて、

来れる家族はみんな来てくれた。

おじいちゃんも。


友人はビデオカメラを貸してくれたんだけど、

夜勤明けでわざわざそのためだけにカメラを届けてくれた。


いろんな人の愛と優しさがたくさん詰まった最高の1日。


ライブではCDとしてもプレゼントした、”ALONE~未来の方へ〜”と、

おばあちゃんの好きな美空ひばりさんの”愛燦々”を演奏したんだけど、

この日のために楽譜の読めない私は1年前から愛燦々の耳コピと自分アレンジを必死こいてやっていた。

娘たちも、そんな私のそばで一緒に聞いていたわけで、知らぬうちに覚えていた。


だから、本当に披露できる日が来てとても緊張したけど、

ライブ前の日から娘たちからもおばあちゃんへの気持ちとして

愛燦々、たくさん練習した。


そしたら、ライブで歌った時に

お水も飲めなかった話もそこまでできなかったおばあちゃんが、一緒に歌ってくれたのです。。(感動!!)



そして、メンバーさんたちは私のリクエストやおばあちゃんのリクエストに応えて

CHIKOさんの”頑張り続けた君だから”や、

竹内まりやさんの”いのちの歌”

カーペンターズの”青春の輝き”

などを演奏してくれました。


色んな涙と笑いと一人の人のいのちの重さや価値がどれほど大きいのかを実感したり、

たくさん大好きだよって込めた幸せがたくさん詰まったライブが終わって、


私は今まで感じた事のない気持ちになった。


感動では足りなくて、言葉ではとても表せない確信に似た気持ちになった。


そして、気づいた。


あぁ、これが私の夢だったんだ!って心の底から私、喜んでる!って。


東京ドームでも、武道館でもないし、

ラジオでもないし、TVでもない。

有名でもない。


でも、お客さんの人数の多さや収入やかっこよさではなくて、

寄り添える音楽がしたかったんだ!って。



私はおばあちゃんへの恩返しのつもりで色々やってきたり、考えてきたけれど、


おばあちゃんが私の夢を叶えてくれたんだって、


だんだん気づいていった。



ライブが終わった後、おばあちゃんはお水をたくさん飲めて喜んでいました。

それが最初にあるツーショットの写真です。


でも、その後きっと反動はあったかもしれない。

それでも、おばあちゃんは命をかけて私の夢を叶えてくれたのかもしれない。


おばあちゃんは私にささやかでも確かな私なりの音楽を続ける事、

誰かのために精一杯生きる事、

私の心に一生ものの宝をくれた。


そんな気持ちが星空noteの原動力になっている。



おばあちゃんは、自信のない私に、こんな言葉をくれた。


”あやちゃんが孫でよかった。自慢の孫だよ”って。

”自分に自信を持ってね”って。


それから、親戚の人たちの話や、お世話になってきた人の話。

病院のベッドで色々聞かせてくれたけれど、

なんで聞かせてくれたのかもお葬式の時にわかった。


お葬式で私が困らないようにと、

おじいちゃんじゃ、ちゃんと来てくれた方一人一人に挨拶できないと見越していたり、

お葬式に来た方の持病と心遣いの仕方、

とにかく本当に先の先まで見越していて話してくれて居たんだ。


おばあちゃんはやっぱりおばあちゃんだった。

いつまでも天国に行った後までも愛情で溢れて。


そういえば、お墓の石にまでお参りに来てくれた人に直接は話せなくなっちゃうからって、

”ありがとう”って彫ってあるね。


今でも、気づくことがたくさんだよ、おばあちゃん。


そんなおばあちゃんへの曲を作っています。

今回は全部自分でアレンジもチャレンジしてるよ。

まだ時間がかかりそうだけど、

もう18日になっちゃったけど、


ライブ記念日で少しだけどおばあちゃんや

誰かに届きますように。。





今回はとっても長くなってしまいましたが、

おばあちゃんとの時間は、星空noteにも私のすべてに大きな関係があるので

書かせていただきました!


最後まで読んでくださってお時間を頂きありがとうございます☆


逃げないで立ち向かっていこう。

その鼓動の音は、求めて愛を手に入れるための足音。


HOME PAGEをご覧下さり、誠にありがとうございます!

ご縁に感謝申し上げます。

すがわら あやの活動を随時更新して行きます☻

この意気込みを大の苦手な高所からの写真で表現させていただきました。笑)


私の目標は、

身寄りのないお年寄りと家庭環境に恵まれない子供達の交流の場や、

施設などをつくることです。